「行ってきまーす…」

 早朝、玄関を出てそっと家のドアを閉める。まだ朝も早い、寝静まっている兄弟達を起こさないように気をつけねばなのだ。郵便受けを確認すると差し込まれている新聞が1つ。

「また負けたかぁ」

 早朝ランニングは何年も続けてきた僕の日課。その日課に付属するオプションとして、新聞配達よりも早く家を出られるか競争がある。些細な事だがこうした勝負要素があると日々が楽しくなったりするでしょう?ただしその戦績は引っ越してきてから数日、今のところ全敗なんだけど。
 だが日々進歩はあるもの、今日はちょっと惜しかったんだ。郵便受けを確認した後、外に出ると向こうの角を曲がっていく自転車の影が見えたからだ。ようし、明日はあと5分早く起きてみてやろうじゃないか。そう思いながら僕は自転車の後を追いかけるようにランニングへと飛び出した。


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 翌朝、玄関でスニーカーを履いているとカタンという音が聞こえてきた。慌てて外に出ると、新聞配達の彼はお隣の家へと新聞を投函しているところで、かろうじて後姿を確認することが出来た。その年恰好は思っていたより若い…というより僕よりも年下なんじゃないだろうか。

「5分、じゃなくて10分だったかなぁ」

 ほんの数分だが睡眠時間を惜しんだ僕の負け。こうなったら何としてでも新聞配達の子の顔が見てみたくなった。今日は日曜だから新聞配達は朝にしか来ない、そして月曜〜土曜は夕刊の配達時間には僕はまだ大学にいる事が多い。あの子が夕刊も届けてくれているのかは知らないのだが、そうなると確かめられるのは朝刊の配達タイミングだけ……つまり僕が朝の勝負に勝った時だけになる。分かりやすくて良いじゃないか。今日の夜はいつもより更に5分早く寝ようと思った。



「ケイさんおはようございます。相変わらず朝早いですね、日曜なのに」
「もう日課だからさ。今日の朝御飯はー?」
「はい、今作りますから待っててくださいね?」

 ランニングから戻るとユーリグが欠伸混じりに出迎えてくれた。朝御飯と催促すると笑って用意してくれる、この時間も好きなものの1つ。真っ先にユーリグの御飯にありつけるのも早起きは三文の徳ってヤツだ。
 一旦部屋に戻りジャージから普段着へと着替えてからキッチンに戻ると、日曜の朝にしては珍しく長兄のユウが席に着いていた。

「ユウ、おはよう。珍しいね、こんなに朝早く」
「おはよう、ケイ。…こんなにと言われるほど早い時間なのだろうか?」
「今日日曜だし、ユウはいつもだったら昼までは寝てそなイメージが」
「引越してきて間もないだろう?せっかくの日曜なのだし、散歩がてら本屋と画材屋を探そうと思って」
「そっか。付き合おうか?」

 そう提案すると美味しそうな匂いが漂ってきた。ユーリグは3人分の朝食を食卓に並べている。

「ケイさん、今日は僕とスーパーの朝の特売に付き合ってくれるんじゃなかった?お饅頭探すんだって言ってましたよね」
「わ、そうだった…。あ、でもユウもお昼には戻ってくるよね、近く歩くんなら帰りは3人で一緒に帰らない?」
「んー…それじゃあ河原の土手で待ち合わせは?広いから」
「うん、いいよー。……ユーリグもいいよね?」
「いいですよ、寄り道の代わりに荷物持ちはしっかりお願いしますね」
「はい、任されましたー」

 今日の外出計画を立てながら一足先に3人で朝食を摂っていると、匂いを嗅ぎ付けたのか三男のクラハを筆頭に、残る兄弟もぞろぞろと起き出してきて朝食の場は一気に賑やかになった。3人で食べる御飯も良いけど、こうやって兄弟全員揃っての御飯はもっと美味しくなるから大歓迎だ。



 途中でユウと別れ、ユーリグと2人でスーパーに入る。ユーリグは張り切って頑張ってきますねと腕まくりのジェスチャーして見せて、主婦達の群れへとカートをお供に飛び込んで行った。うちの兄弟の中で特売という名の戦場で歴戦の主婦達と渡り合えるのはユーリグだけだと思うと、こういうところがちょっと格好良いと思ってしまう。ユーリグとは後で合流する予定だ、僕は目的の和菓子売り場へ向かう事にした。

「うーん……つぶあんとこしあんが、どっちも残り1つ…」

 のんびりスポーツドリンクやスナック菓子類を眺めてから行ったせいか困った事になった。どちらか1つだけなら迷う事なんてないし、どちらかが多かったのなら僕以外のお饅頭好きさんのために多い方から選ぶのに。こしあんの方が好きだけどたまにはつぶあんという選択肢も捨てがたい。

「お饅頭?」

 お饅頭をじっと眺めながらうんうん唸っていると、後ろから声が聞こえた。この人もお饅頭好きさんだろうか?じっとお饅頭を眺めてるみたいだしそうに違いない。思わぬところで同志発見だ、見知らぬ相手だが気付くと話し掛けていた。

「つぶあんとこしあん。どっちが良いと思う?」



 ほくほくと両方のお饅頭を手にスーパーでアドバイスをくれたお饅頭好きの少年へと振り向くと、その顔に何故だか見覚えがある気がした。誰だっけと考えていたところ、相手がレジへと踵を返した後姿を見てふいに朝の姿が思い浮かんだ。多分この少年が新聞配達のあの子なんだ。

「あ、ねえ。僕の名前はケイって言うんだ。君は?」

 思わぬ邂逅に勝負は何処かに行ってしまっているが、本人に会えた事の上にその相手がお饅頭好きだった事に嬉しくなって思わず名前を訊ねていた。

「はい?あ、レンです」
「ふーん。じゃあレン君、またね」

 彼の名前を忘れないよう噛みしめてからユーリグの待っている惣菜売り場へと向かう。合流したユーリグには良い事でもあったのかと聞かれたが、僕は笑って内緒と答えた。ユーリグは不思議そうな顔をしていたが、僕が嬉しそうにしていたせいか何も聞かれなかった。話しても良かったのだけれど、一応明日の朝の事実確認も残っているからまだ内緒なんだ。これで僕の勘違いでレン君が新聞配達の子でなかったなら、何かちょっと僕が間抜けだし。レン君がたとえ新聞配達の子でなかったとしてもお饅頭好きさんなのだ、そのうちきっとまたここで会えるだろうからそれまでは内緒。
 明日の朝か、また今度…再会した時にレン君とお饅頭について話せるのが今から楽しみでならない。


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 時間は…うん、いつもの起床時間10分前。これなら大丈夫だろうと思うものの油断はならない、さっとジャージに着替えて顔を洗いスニーカーの紐を締めて外へ出る。真っ先に郵便受けを確認…良し、まだ新聞は届いていない。

 カタンという音がする。自転車を停める音。新聞配達の少年が朝刊を手にこちらへと歩いてくる。郵便受けに朝刊を差し込もうと顔を上げた少年と目が合ったので、僕は勝利の余韻に浸りながら笑って声を掛けた。

「おはよう、レン君。また会ったね」

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