「ここか…」

 俺は見慣れない場所に立っていた。周囲からは学生服姿の俺は明らかに浮いている、周りを歩く奴らが横目でこちらを見てきたりして非常に居心地が悪かった。この場所の名前は美術大学。ユウからモデルの件を引き受け、俺が暇な時ならという約束で都合がついたのが今日。その待ち合わせ先に指定されたのがユウの学校だった訳だ。ユウとはメールのやり取りはしていたが、面と向かって会うのは歓迎会以来になる。

「着いたぞ、っと…」

 大学の構内なんて良く分からないので、好奇の視線に晒されながら動き回りたくないという事もあってユウ宛に到着のメールを送る。ユウが校門まで迎えに来てくれる手筈になっているのだ。迎えが来るまでと思い、校門の門柱に寄りかかって中の学生共を眺めていた。
 私服のせいもあるかもしれないが、2つ3つくらいしか違わない筈のそいつらが、何故だかとても大人びて見えた。人の髪を抜こうとしたり、周りを気遣うあまり自分の事が見えなくなってたり、子供っぽいところもあるけどそれでも兄弟といる時はちゃんと兄貴をしてて…そんなユウもこの中の一員なんだなぁと思うと、何処か複雑な気持ちを抱いている自分がいた。

 しばらくそうしていると知らない奴がこっちの方に走ってくるのが見えた。ユウじゃない。いい加減遅くねぇかと携帯を見て時間を確かめていると、さっきの奴が俺の前で立ち止まった。

「よっ、お待たせ」
「………………」
「あれ、反応がない。違ったか?お前ユイ、だよな?」
「………あんた誰」
「何だ合ってんじゃん、良かった、良かった」

 見知らぬ奴に名前で呼ばれて憮然としていると、そいつは笑って背中をバンバン叩いてきた。いや、本気で知らないんだけど。そうしていると手の中の携帯が着信で震えたので、妙に馴れ馴れしい奴から少し離れて電話に出た。

「もしもし」
『ユイか?悪い、ちょっと今手を離せなくて…代わりに友達に迎えを頼んだから、その人についてきてくれるか?もうそろそろそっちに着く頃だと思うんだが』
「……友達。何かそれっぽい変なのはいるんだけど」
『うん?えっと…名前はテッドといって、身長は僕よりちょっと高いくらいなんだが。その人がそうなら、ちょっと代わってみてもらえるか?』

 ユウの言葉にその変な奴の名前を確認する。…どうやらこれが本当にユウの友達らしい。しぶしぶテッドに携帯を渡すと、そいつはユウと笑って会話をしている。しばらくしてから通話を切ってこちらに携帯を返してきた。

「って通話勝手に切んなよ!」
「あ?ユウからの話は俺が迎えに来るって用件だけだったんだろ?なら話が終われば切るだろうが。それとも何、ユウともっと話してたかった?」
「……帰って良いか」
「こらこら、ふてくされんな青少年!お前帰っちまうとユウに頼まれた俺の立つ瀬がないだろうが。まあ、改めて俺はテッド。ユウの親友な」

 いかにもうさんくさい感じで笑ってまたまた俺の背中をバンバンと叩いてくる。ユウ、本当にこんなのが親友ポジションで大丈夫なのか?

「しっかしユウも物好きだよなー。あいつの弟達みたいに可愛い子でも連れてくるのかと思ったら」
「可愛くなくてどうも。つかあんたユウの兄弟の事知ってんのか?」
「あぁ、引っ越す前にゃ何度か家行った事あるしな。厳密には引越し前のユウが従兄弟と一緒に暮らしてたとこだから、あいつの実家じゃないんだけど。一緒に住んでた双子と従兄弟、それにやけにユウに懐いてる三つ子の真ん中は割と良く知ってるか」
「ちなみに俺のことは」
「ユウから話は聞いてる、あいつ綺麗な子がいたって嬉しそうにしてたからなぁ。ユウがそれだけ言う奴ってのは一体どんな奴なんだと思って楽しみにしてた訳よ、まあこっちの予想とは違ったんだけどな」

 テッドは俺がユウの兄弟について知っているという前提で話を進めている。何せ話題はユウの兄弟の個人情報、俺が知っている事をテッドも知っているからこそ話せる内容だって事になる。……ユウ、一体俺の事はどこまでこいつに話してるんだ?

「それにしてもお前さ、ユウからモデルを頼まれて、良くOKしたな」
「……何だよ、文句でもあんのか?」

 つっけんどんに言葉を返すと、テッドはニヤニヤしながら肩に手を回してきて小声になった。

「いや、モデルって一言で言ったって色々あると思ってさ」
「何だよ、色々って…」
「分かりやすく言うと裸だな、ほら裸婦画ってあるだろ」
「分かりやすくも何もまんまじゃねぇか…」
「その辺どうなんだよ、何するか聞いたか、んー?」

 明らかなからかい顔に肩に置かれた手をどかし、俺は無視を決め込んだ。…ユウが俺にモデルを依頼したのは単に俺の髪の毛の色が気に入ったからだ。そうだよ、あいつの目的は俺の髪の毛であって身体じゃなくてだな、って事はモデルっていってもテッドが揶揄するような事は求めてきやしない。そうそう、それにユウってそういうとこ免疫なさそうだしな、下の話でもしようもんなら真っ赤になってそうな、だから大丈夫。……絵描いてる時のあいつは知らないが、そう変わりはしないよな……大丈夫、大丈夫。
 俺をしばらく見ていたテッドは悪乗りし過ぎたと謝ってきたが、正直思考が忙しくてそれどころじゃなかった。



「ユウ、連れてきたぞー」
「ありがとう、テッド。ユイ、わざわざ来てくれてありがとう」
「…どういたしまして」

 教室に入ると、縦横1mはあろうかという大きなキャンバスに出迎えられた。もとい、それを抱えているユウにだ。手が離せないと言っていたが、俺が来るというのでキャンバスの整理をしていたらしい。俺を送ったテッドは用は済んだからと退出し、俺はユウがもう少しで終わると言うのでそのまま待たされる事になった。

「ユイ、悪いが脱いでちょっと待っててくれるか」

 ………ユウにそう声を掛けられて一瞬思考が停止した。

 脱いでって…あれか、予想外だが実はそういう姿でのモデルだって事なのか?まあテッドもいなくなったし部屋の中には真実俺とユウとの2人きりで、モデルと画家っていう構図からしても1対1だから問題ないっちゃ問題ないと言えるが…。俺は数瞬迷った結果、快く依頼を受けてしまった手前、自分の服に手をかける事にした…。

「待たせて悪い、ユ…イ……?」

 作業も終わり、こちらに来ようとしたユウの足が俺を見て止まった。顔を見てみると物凄く不思議そうな面をしている。そして開口一番、まあある意味当然だろう疑問を口にした。

「……ユイ、何で上半身裸なんだ?……露出狂?」
「違ぇよ!何でって…あんたが脱いで待ってろって言ったんだろ?」
「え?…埃っぽいから汚れるかもしれないので制服の上着は脱いでいてくれとは言ったが」
「言ってねぇ、んな事絶対言ってねぇー!」

 そうだったか?と首を傾げているユウを横目にとっとと服を着直すことにする。テッドに変な事を吹き込まれてさえいなければ聞き返す余裕もあって露出狂呼ばわりされずに済んだように思うと、さっきから調子を狂わされまくりだ。終いにはのほほんとこんな事を言われる始末だ。

「でも締まってていい身体だったから、ちょっと勿体無い?僕は体質なのかあまり筋肉が付いてくれなくてな」
「……もしかしてモデルって俺の裸描きたかったとか?」
「え?そんなつもりはなかったが……それもいいかな」
「断固お断りだ!」

 言質も取った事だし、もう誰がやすやすと脱いでやるもんか。



 絵のモデルといっても、ユウの場合は特にポーズを指定される訳でもなし、場所さえ移動しなければ多少動いていても構わないというのだから楽だった。最初のうちは物珍しさに室内を見回していたが、そのうち真剣な顔で俺を見つめるユウを見ているようになった。こちらからでは描いている画面は見られないが、被写体を捉えようとする真っすぐな視線から目を離せなくなっていた。そしてその時間はユウが筆を止めて俺への視線を柔らかくするまで続いた。

「今日はこの辺で。途中からあまり動かなくなったが、同じ姿勢で疲れてはいないか?」

 ユウは少し描き足したい部分があったのか視線を俺からキャンバスへと移したが、俺の視線はまだ動かなかった。…正直ヤバイ。何がヤバイってユウから視線を外せなくなってる事がだ。

「ほい、お疲れさん」
「テッド。今日はもう帰ったんじゃ?」
「お前ら終わんの待ってたんだよ、これ差し入れな」
「ありがとう、後で頂くよ」

 背後から聞こえた声と頬に押し付けられた缶飲料の冷たさにはっと我に返る。後ろを振り仰ぐとテッドがスポーツドリンクの缶飲料を両手に持っていた。我が家ではさんざ薄められるその飲み物をありがたく受け取ると、テッドは俺にだけ聞こえる声で気を付けろよと笑った。

「あいつ凄いだろ、集中力が半端ねぇのな。あの顔で、その瞳でずっと見つめ続けられてみたら、そりゃ周りは堪らないっての。そのくせ普段はボケボケしてるから危なっかしくてな、その場に兄弟が誰かいたんならまた話は変わるんだが」
「何でそんな話を俺にすんだよ」
「うん?ユウにはお前に対して他意はないから勘違いすんなって言ってんだ、あとその上で一緒にいる時間が増えるだろうお前に気をつけてやってくれってお願い。これその分の報酬な」

 テッドはニヤリと笑って俺の開封済みの缶飲料を指してきた。ユウにおごる気はあっても俺におごる義理はなかったって事だろう。大概過保護な親友様だと思う。…思うが、正直ユウが危なっかしいのは既に何度か経験済みだし、たまに決定的に言葉が足りない事があるのは確かだ。今日なんかがいい例だろう…その経緯はもう忘れる事にしたが。



 片付けも終え、俺とユウ、そして何故かテッドの3人で駅までの道のりを歩く。テッドは大学の近くの学生寮住まいだというので駅まで来る必要はないが、きっと俺へのあてつけもあっての同行だろう。…駅までユウを送るという2人のいつもの時間の中に俺がいるという対抗馬も考えられるが。こういう風に考えると、大学という敷地で感じていた年齢差による複雑な気持ちも、2人が俺とさして変わりないように思えて気が楽になるのは…百歩譲ってテッドのおかげかもしれない。

「それじゃあな、ユウまた明日。ユイは…まあいつでもいいや、歓迎はしてやる」
「それはどうも」
「テッド、また明日な」
「ユイ、ちゃんとユウを送ってけよ?」
「分かってるよ、家隣なんだから心配すんなっての」
「あの、ユイに送ってもらうのではなくて、僕がユイを送っていくのだが…?」

 テッドとは駅で別れ、ユウと一緒に電車に乗り込む。帰り道、ユウは少しふてくされたように言葉を漏らした。

「ユイはテッドと仲良いのだな…」
「………ユウの方が仲良いだろ?」
「そっちじゃなくて、僕よりテッドと…」
「あー…つまり、ユウは、俺と、仲良くなりたい、って事か?」

 聞き返すと、少し考えた後ユウは小さく頷いた。正直テッドとの牽制も含んでる言い合いを仲が良いと評された事はショックだが、それを誤解して嫉妬のようなものを感じてくれた事は嬉しい、かもしれない。

「そうだな…テッドは引越し前だけどユウの家に遊びに行った事あんだろ?で、ユウは俺の部屋に来た事はあるから、なら今度は俺があんたの部屋に遊びに行く、とか」
「…そう、だな。歓迎会の時は居間までだったし…部屋に誰かを呼んだ事はなかったか。うん、入れるといっても僕の部屋だけなら構わないだろう」
「よし、決まり。都合の良い時誘ってくれな。おもてなしとかは考えなくて良いから」

 第一ユウが来た時は急だったからもてなしも何もしてねぇしと言うと、ユウは笑って小指を差し出した。…今時指切りげんまんってと思わないでもなかったが、付き合ってユウの小指に俺の小指を絡めて指を切った。

 手を軽く上げて隣の家の玄関へと消えていく姿を見送る。完全に姿が消えたのを見届けてから、俺も我が家の玄関へと足を進めた。まだ夕飯まで時間がありそうだったので、煩い弟共を無視して部屋へと戻る。同室のアオイは一体どれだけのバイトをしてるんだか、今日もまだ帰宅してはいない様子だった。私服へと着替え、2段ベッドの上の寝床へと寝転がる。

「勘違いすんなって言われてもな……他意がなくて指切りげんまんって」

 思い返して赤くなる頬をどうやって夕飯までに誤魔化そうか、それが一番の問題だった。

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