「よしょ……っと」
 担ぎ上げていた布団を、先にしいていたビニールシートの上に落とす。

 よく晴れた、風のない午後。

 ハズミは、ここぞとばかりに屋根によじのぼって布団を干していた。
 おおよそ男子高校生らしからぬ所帯臭さだが、本人はそれを気にする様子もない。

「あー、気持いーなー…」
 干している最中の布団に寝転がり、ハズミは昼の高い空をぼんやり眺めていた。

 ……何分か、あるいは何十分か。
うとうととまどろんでいたハズミは、不意に歌声が聴こえているのに気がついた。

「……隣……かな……」
ぽそとひとりごち、体を起こすと、反対側にある隣家を見遣る。

 隣にはつい最近、この家同様男ばかりの大所帯が越して来ている。何人かは挨拶もしたが、聴こえる声はそのいずれにも該当しない。
 高くてよく通る、少女のような声である。
「……早速、彼女でも来てるのかなあ?」
 まだ全員には会っていないが、隣人一家はどういうわけか美人揃いである。
 あのルックスなら、引越して早々に訪ねてくるような彼女の一人や二人、居てもおかしくないだろう。

 ……誰の彼女なのかな、美人の彼女はやっぱり美人なのかな。
 好奇心に駆られたハズミは、うつ伏せになるとそのまま匍蔔前進の要領で、屋根のきわぎりぎりまで詰め寄った。
 そろりと下を伺うと、隣家の二階のベランダには、確かに人影があった。
 手摺の上に座り、外側に足を投げ出している、小さな人影。
 時々、投げ出した足をぱたつかせながら、その人物は気持良さそうに歌っていた。

 歌っているのは外国の歌だろうか。
 リズムに合わせて、艶やかな黒髪がふわふわ揺れる。
 瞳は閉じているが、それでも顔の造作が整っているのはわかる。
 服の袖や裾からはみだしている手足は、頼りなげに見える程白い。

 民族衣裳でも着せたら、それだけで異国の歌姫が出来上がるのだろうが、残念ながら眼下の歌い手は上下ジャージである。

「……なんでジャージ……?」
 引越し後の片付けでも手伝っているんだろうか。
 ……にしては、他の家人が動き回ったりしているようすは、ここから見る限り窺えない。

 もう少しよく見ようと、ハズミが手の位置を変えたとき。

 かたんっ。

 雨どいにでも触ったのか、小さく音が鳴った。
 微かな音ではあったが、ベランダの人物ははっ、と息をのみ、口を噤む。

 開かれた鳶色の瞳が、屋根の上のハズミを完全に捉えていた。
「やば……っ」
 がっつり目が合ってしまった歌姫が、怒りだすのではないかと、ハズミが息を飲んだ次の瞬間。

「……ご、ごめんなさい……!」
 細い声でそう言うと、歌姫は思いの外男らしい身のこなしで体をひるがえした。
 空いていた窓に飛び込み、サッシとカーテンを同時に閉めてしまう。

 ……結局、誰だったんだろう……
 屋根の上で腹這いになったまま、ハズミは再びぼんやり考えていた。

 ……逃げ出す前の、一瞬。開かれた、大きな鳶色の瞳が印象に残る。

 笑ったら、可愛いんだろうな。

 屋根の上に体を起こしたハズミは、更にそのまま仰向けにひっくり返る。

 …………思案を巡らせる事、数十秒。
「……好みわかんないから、おかずよりお菓子だよ、ね」
 自らの言葉にひとつ頷くと、ハズミは干していた布団を丸めて担ぎ上げた。

 

「……いい匂いがする」

 それからしばらくの後、階下に下りてきたルレンは、香ばしい匂いにすん、と鼻を鳴らした。
「お隣さんが、作りすぎたからってわけて下さったんです。いただきましょう?」
「……お隣……」
 見れば、ダイニングテーブルには紙皿に盛られたクッキーが鎮座している。
 ひとつつまみあげ、ルレンはぽつと呟く。

 ……まだ、挨拶してないな。
 さっき外で歌ってたの、うるさいって怒ってたらどうしよう。
 小さな頭の中で、悪い考えがぐるぐる回る。
 ……が。
 手にしたクッキーをかじった瞬間、それは霧散した。
「………美味しい」
 それでは後でお礼に行かないと、という家人の言葉に、ルレンはこっくり頷いた。

運命(?)の邂逅まで、後数時間。


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