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「ライブハウス?」
洗った皿を布巾で拭いながら、レンが尋ねる。
「そ。ライブハウスのドリンクスタンド。だから明日遅くなるから、よろしくね」
「高校生がそんなとこでそんなバイトしていいんですかー?」
「仕方ないじゃん、頼まれちゃったんだもん」
特に理由もないのに断われないっしょ、と、皿をすすぐハズミは肩をすくめた。
「はいはいわかりました、頑張ってきて下さい。……で?誰なんですか?」
「え?ああ、バイトの先輩。その人の相方って人が風邪こじらせたとかで……」
「違いますよ、ライブハウスなんでしょう?演者のこと聞いてるんです」
「えんじゃ?」
「……だから、誰のライブがあるんですか、明日!」
要領を得ないハズミに、レンが眉間に皺を寄せた。
「知らない。興味ないもん」
「……こういうのには例えバイトでもライブハウスの仕事なんてやらせるべきじゃないと思うな……」
けろりと悪びれもなく答えるハズミに、レンは盛大な溜め息をついた。
††
「お前はソフトドリンクやってくれればいいよ。アルコール系は俺やるから。あ、ビールは頼むな。缶渡せばいいだけだから」
「いーす、わかりましたー」
当日。
生まれて初めてライブハウスに入ったハズミは、自分の着たスタッフTシャツを眺めたり、ハウス内を見て回ったりとせわしなかった。
「……あ、今日ってなんて人がやるんですか?」
無人のステージを見た時、ふと昨夜のレンの言葉を思い出したハズミが振り返った。
「あ?ああ、『ジェダイト』のワンマンだよ」
「ジェダ……わんわん?」
「女の子も多いから、ノンアルコールも出ると思うんだよ。よろしくな」
「……はーい……」
開場してからはあっという間だった。
明らかに中学生な女の子から、主婦っぽい人、スーツ姿の中年まで。様々な年齢層が入り乱れていた。
(へ〜、人多いな、思ってたより)
「や〜、今日平日だったからよかったけどさあ、週末だったらこんなのんびりしてらんなかったよな〜」
ハズミの思考を見抜いていたかのような一言が先輩から飛び出す。
「え……そーゆーモンなんですか?」
「そりゃそうだろ、次の日休みなら地方からとか来るし」
「地方!?どっから来るんですか地方って!?」
「え?そりゃ色々だろ。その辺のやつの話きいててみな?飛行機どうのとか言ってるやついるかもしんねェよ?」
「……わざわざバンド見に、ですか」
「いっぺん生で聞いたら、多分わかるぜ?」
先輩の言葉に、そうですかと頷いてはみたハズミだが、内心では首を傾げていた。
(そういうモンかなあ…別にテレビやCDで聞くのと変わらない気がするんだけどなあ……)
その時、フッと照明が落ちた。
途端、場内は静まりかえる。
ステージ後ろのホリゾントだけが淡く輝き始め、ステージに小さな人影を写し出した。
唐突に、響く旋律。
音響機器を通しても明瞭に届く声。
優しく、柔らかく。
それでいて透き通った歌声。
その声に、歌に。
ハズミは聞き覚えがあった。
アカペラだった歌に、徐々に楽器の音色が重なってくる。
ピアノ、ギター、ベースとドラムが入った所で、舞台の照明が一気に上がった。
センターに立ち、黒服を翻すヴォーカルは、満員のホールを見渡してから、鮮やかに笑った。
左サイドだけ上げられた黒髪は、後頭部の一房が長く、背中でひらひらと踊っていた。
照明を照り返す瞳は真紅。
今、挑むような表情で舞台の中心にいるのは、間違いなく。
あの人見知りの小さな隣人、ルレンだった。
「……あの歌ってる人って」
「ああ、『リァン』?いい声してるよな。巧いし」
「リァン……さん……」
半ば独り言のような発言に丁寧に答えられ、思わず名前を反芻する。
「一応男ってなってるらしいけど、未だに女の子説がなくならないんだよな。ほら、チビだし」
「ゆ、有名なんですか!?あの人」
「まあ、有名といえば有名か。最近じゃインディーズのチャートでも上位に食い込むようになってきたし」
「………そう、なんですか」
有名な人。
盛り上がる観客の前で、「リァン」は堂々と歌い続けている。
男とも女ともつかない響きの声に、誰もが酔いしれる。
ハズミだけが、奇妙な疎外感にさいなまれていた。
後頭部が一部、すとんと抜け落ちてしまったような空虚感。
(……ああ、あれだ。アオイちゃんの時のカンジだ)
初めて、モデルとして雑誌に載った兄の写真を見た時の感覚。
良く知った人間が、よく知らない人間になってしまった瞬間。
あの時は、雑誌の隣に本物が居た。
雑誌と見比べると、恥ずかしそうにそっぽを向いていた。
だから、そう感じたのは、ほんの一瞬。
でも、今は。
(……もともと、よく知らない人じゃんか)
ふわふわする思考に言い聞かせる。
ルレンは、元々よく知らない人。
隣に越してきて、まだ一月かそこらしか経っていない。
毎日のように会うわけでも、特別仲が良いわけでもない。
それでも。
ふわふわした感覚は、抜けてくれない。
(……僕、なんでこんながっかりしてるんだろ……)
「おし、お疲れィ!もう上がっていいけど……遅いし、もう少し待っててくれりゃ車で送るけど?」
「あ、いや、明日もガッコなんで、先失礼してもいいスか?アレなら兄貴に来て貰うんで」
「そか。今日は悪かったな、助かったよ。じゃ、また店でな」
「うす、お疲れっした!」
挨拶を済ませ、バイト代を貰うと、ハズミはそそくさと出口へ向かった。
(……なんかもぉ歩くのもかったるい……バイト代貰えたし、ユイに迎え来てもらおうかなあ……)
茶封筒をカバンにつっこみ、建物から出た所で立ち止まり、携帯電話を引っ張り出す。
ふと目をやると、荷台の口を開けたトラックが、すぐ脇に止まっているのが見えた。
黒い作業着を来たスタッフが、なにやら段ボールを積み込んでいる。
(……撤収とか、手伝えばよかったかな)
そのままなんとはなしにトラックを眺めていると、積み込み作業をしていた人物が、ぴょんと荷台から飛び出し……
何故かハズミを見て、固まった。
「…………?」
「…………は、ハズミ……?だよね?」
「え………へっ!?え!?」
作業着の人物が、トトトとハズミの前まで寄って来る。
黒いキャップに瓶底眼鏡。その下には、間違いなく「ルレン」が……
ハズミが知る、「人見知りの隣人」が、確かに居た。
「ドリンクスタンドのとこ、よく似た人が居るな〜とは思ってたんだけど、本人だったんだね」
ハズミを正面から見上げたルレンは、眼鏡の奥でふにゃっと笑った。
「僕もびっくりしましたよ……まさかお隣さんがステージに出てくるなんて」
「……あの、その……これね、あんまり周りに言うなって言われてるんだ」
「これ?」
「歌ってること」
「そうなんですか?」
「だからね、その……ちょっと、秘密にしててもらえないかなあ」
「秘密、ですか?」
「うん。秘密」
ルレンが、少し困ったような顔で笑う。
「……わかりました、秘密、ですね」
「あ、おうちの人くらいならいいからね、あんまり知らない人に言わないで欲しいだけ」
「……ウチの兄弟どもは、知ってる人にはいるんですか?」
「うん。だって友達だもの」
「友達?」
「………あ、まだ友達じゃなかった、かな。……レンとかカナタとかとはそういう話をしたんだけど……」
(……あいつら何時の間に……!!)
ハズミの脳裏に、何故か勝ち誇ったように笑う三男と末弟の姿が浮かぶ。
「……えっと……あの……」
俯いて何か言いよどむルレン。
「………よかったら、僕とも友達になってもらえますか?」
兄弟に対して沸き起こる黒い感情を腹の底に押し込め、ハズミは出来うる限りの柔らかい笑みを浮かべて右手を差し出した。
「……!う、うん!……ありがとう!」
瞬間、ルレンの表情がぱっと輝く。
両手でハズミの右手を包み、きゅっと優しく握った。
その時。
「おーいルレン!そっち大丈夫かぁ?」
「ちょっと!サボってないで手伝いなよ!まだ運ぶものあるんだから!」
建物の脇、おそらく搬入口があるのだろう。
その辺りから、複数人の声がする。
「あっ、ごめん、すぐ行く!!……ハズミ、ごめんね、また改めて」
「あ……はい、気をつけて……下さい、撤収……」
「ん、ありがと。……またね」
するりと手を解くと、ルレンは鳶色の瞳で、鮮やかに微笑んだ。
くるりと体を翻し、駆け去るルレンを見送ると、ハズミ自身も歩き出した。
先ほどからは、考えられないほど足が軽い。
兄にかけようとしていた電話は、さっさとポケットにしまってしまった。
『リァン』は、知らない人。
でも、『ルレン』は友達。
緩む頬を必死に押さえながら、ハズミは一人、帰路についたのだった。
†††
「ただい……」
「帰りやがりましたねこの抜け駆けムッツリ――!!!」
げめすっ。
ハズミが一歩玄関に踏み入れた途端、末弟の足の裏が顔面に突き刺さる。
「ぎゃー!!!何しやがるこンバカナタ!!」
「それはこっちのセリフですー!!一人でライブ行くなんてズルいですー!!」
ハズミが抗議の声を上げると、カナタも負けじと声を張り上げた。
「はぁ!?僕バイトで行ったんですけど!別にライブ見に行ったわけじゃないんですけど!!」
「何言ってんですかー!!ルレンさんのライブだったんでしょおー!?」
「だから、それはたまたま……………なんだって?」
「ルレンさんのライブですー!!ルレンさんの正体はインディーズバンドのヴォーカルだったんですー!!」
「おま……っ!!それどこで……ッ!!」
「………調べたんですよ、ハズミが誰のライブの手伝いに行ったのか」
口をぱくぱくさせるハズミに、奥から出てきたレンが嘆息した。
「ハズミが演者憶えてなかったもんですから、今日誰のライブなのか、会場の方のサイトで調べたんですよ」
「そしたら『ジェダイト』ってのが出てきて……メンバーの写真みてみたらルレンさんが写ってるじゃないですか!!」
「意外でしたよねぇ、あのはにかみやさんのルレンさんがまさかバンドとは……」
「見たことあると思ったんですよー!!やっとすっきりしましたー!!」
「インディーズとはいえ人気バンドですよ」
「まさか自分の携帯にげーのーじんの番号が入る日がくるなんて!スゴイですよね!!」
「まてィ!!お前ら、それ言いふらすんじゃねェぞ!!黙ってろいいな!!」
なにやらこくこく頷きあうレンとカナタの間に割って入り、ハズミが絶叫する。
「……言いふらすなんて、そんな勿体無いことしませんよ」
「言いふらしていいなら、こないだの歓迎会の時に言ってくれたでしょうしね」
「………おう」
真顔でさらりと返す兄と弟に、ハズミは勢いを削がれる。
「…………まぁ、わかってんならそれで………」
「とりあえず、明日サイン貰いに行きましょう!」
「CDとか買わないとね。カラオケ行ったら入れるようにしないと」
「つーか今度一緒にカラオケ行きましょう〜!!生歌聴きたいですー!!」
「………お前ら二人、やっぱそこに直れィ!!」
翌日、ルレンと共に満面笑顔の(ただし眼はカケラも笑ってない)ユーリグが釘を刺しに(それはもう五寸釘乱れ打ち位の勢いで)来たのだが……
それはまた、別のお話。
++了++
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