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夕刻まで降っていた雨は、既に止んでいた。
時刻は、もうすぐ22時をまわる。
さっさと帰って、寝なければ。
台所番であるハズミの朝は早い。
もともと夜更かしが得意ではないし、遅くまで起きてやりたい事も、今現在は特にない。
必然的に、就寝時間も早かった。
(今日は結局、晩飯何にしたのかな)
自宅が見えてくると、大分分量が減ってしまっているであろう晩飯を想像し、ハズミは空きっ腹を片手で押さえる。
その時だった。
小さな声と、ドアの開閉音。
続いて、シャッターを開く音が、静かな夜に、それでも遠慮がちに響いた。
「…………あ」
バイクを押しながら出てきた、小さな人影と目が合う。
「……こんばんはハズミ。……今帰り?」
ガレージから出てきた隣人――ルレンは、ハズミを見留めると小さく微笑んだ。
「こんばんは…!は、はい……ルレンさんは、これから……お仕事、ですか?」
ハズミは、思わずその笑顔に引き寄せられてしまう。
「ううん。今日は、只のお散歩」
「夜の散歩ですか?……いいですね」
ハズミが素直な感想を述べると、一瞬、ルレンの細い肩が揺れた。
「……あの、ハズミ……?」
「はい」
「……いっしょに、いく?」
「……はい……!」
思いもしなかった誘いに、ハズミは目を見開きながら、こくんと頷いた。
「ハズミ、もっとしっかりつかまらないと、危ないよ」
エンジン音や風を切る音にまけじと、ルレンが声を張り上げた。
「は、はい……!」
ハズミは慌てて、ルレンの細い躯に回した腕に力を込める。
(……力一杯しがみついたら…折れちゃいそうだ)
「心配しなくても、折れたりしないから。寄りかかるくらいでいてくれた方が、僕もありがたいな」
「へっ!?……あ……」
信号で停止した瞬間、見透かされたように告げられ、ハズミは息を飲んだ。
「……大丈夫……ですか……?」
「僕は大丈夫。ハズミは怖くない?」
「……はい」
小さく答えると、ハズミは上体をルレンの背中に預ける。
夏用なのだろう。
見かけより薄いらしいジャケット越しに、ルレンの体温が感じられる。
「…………」
信号が青に変わると同時に、バイクは再び走り出した。
「んー…やっぱりダメか」
30分程走った後に、バイクは小高い丘にたどり着いた。
小さく切り開かれた丘には、街灯が一本と、ベンチが一台。辺りに人影はみられない。
巡らされた手摺の向こうには、たった今出てきた町が一望出来た。
「わー……すっごい穴場ですね……!」
「車が入ってこれないからね。歩きや自転車じゃ、ちょっと大変だし」
ハズミが感嘆の声をあげると、ルレンがくすりと笑った。
「……で、なにがダメだったんですか?」
「……星が、ね。見えないかな、と思って」
「星?」
「うん。天の川」
「あまのが……あ。」
七月七日。
今日が七夕である事を、ハズミはここでようやく思い出した。
だが、上空には薄曇が広がり、星は見えない。
「場所を変えたらもしかして、と思ったんだけど……やっぱりこんな距離じゃダメだね」
ベンチに腰を据えたルレンは、そう言って肩をすくめた。
「あ〜…もっと山の上の方とかいかないとダメですかねー…」
「…………ハズミは」
ベンチの後ろ側で空を仰ぐハズミを、背もたれ越しにルレンが見上げる。
「……目、いいんだっけ……?」
「え?……ええ、一応両方1.2はありますけど……」
「……そっか。いいな」
「……眼鏡、大変ですか?」
「もう慣れちゃったから、大変だとは思わないけど……レンズを通さないと、モノが見えないから」
ルレンが、大きな鳶色の瞳を伏せる。
「……あ、あの、もっと空気の綺麗な……山の奥とかにいけば、沢山星、みられますよね」
「うん……多分」
「沢山見られれば、眼鏡無しでも……見えるんじゃないでしょうか」
「……そう……かな……」
「そうですよ、もっと沢山出てれば見えますよ!」
「…………」
「…………」
視線がかち合うと、何となく気まずくなり、お互いうつ向いてしまう。
「……ハズミは」
「………はい」
「……いい子だね」
「……そんなんじゃ、ないですよ。僕は、別に……」
ルレンの言葉に、ハズミはゆるく首を振った。
「……帰ろうか。ごめんね、付き合わせちゃって」
小さく息を吸い込むと、ルレンがベンチから立ち上がる。
すると、ハズミが慌てて背もたれから身を乗り出した。
「え…っ、もう帰るんですか!?」
「星、見えなかったし……ハズミ?」
「…………」
「……もう少し、居る?」
あからさまに肩を落とすハズミに、ルレンがそっと声をかける。
「……居たいです」
「……そうだね。せっかくハズミが付き合ってくれたんだもの」
「……はいっ」
途端、ハズミの顔がぱあっと綻んだ。
「ルレンさん、よく屋根に登ってますけど……あれって星をみてたんですか?」
「んー……星とか雲とか……いろいろ」
今度はベンチに腰かけたハズミが、隣に座るルレンに尋ねる。
「じゃあ、やっぱり詳しいんですか?天文学…みたいなの」
「詳しいわけじゃないけど……調べたり聞いたりするのは好きかな」
「すごいなぁ。僕はそういうの、さっぱりなんで」
「今日も、星が見えたら何か教えてあげられたかもしれないね」
「それじゃあ今度、星が見えたら、何かお話聞かせて下さいませんか?」
「いいよ。僕でよかったら」
「ほんとですか!?……楽しみにしてます!」
笑って頷くルレンに、ハズミが小さく歓声をあげる。
「うわぁ、そんなに期待されるとプレッシャーだなぁ」
「あ、あ、そういう意味じゃなくて!……その」
「……ハズミをがっかりさせないように、勉強しておかないとね」
「……ルレンさんが話してくれるなら、ホントは内容はなんだっていいんです」
「え?」
「なんでもいいんです。ご兄弟の事でも、仕事の愚痴でも…道端でねこを見たとか、お昼に何を食べたとか。簡単な事でいいんです……思い出した時とか、暇な時でいいんです。……僕、あなたの話がききたいです」
ハズミの色素の薄い瞳が、ルレンを見つめる。
ルレンはしばらくきょとんとしていたが、やがて浅く息をつき、に、と笑った。
「……それじゃあ、交換条件」
「交換条件?」
「うん。……ハズミも僕に、ハズミの事を教えて?」
「……え?」
「今日、学校で何があったとか何をしたとか、兄弟達とこんな事を話したよーとか。
……そういうの、僕も聞きたい」
「え、で、でも、僕の話なんて、聞いてもつまらないですよ…?」
「面白いかそうじゃないかは、聞き手が決めることだよ?」
「……僕なんかの話でいいなら、喉が嗄れるまでお話しますけど……」
「嗄れるまで?本当に?」
「…………どうでしょう」
『…………あはは!』
落ちた沈黙がおかしくて、二人は同時に笑いだす。
「約束だよ?」
「約束です♪」
「あはは……じゃあ、今度こそ帰ろうか。あんまり遅くなると、皆心配するでしょ?」
「さっきアオイちゃんにメールしたんで、大丈夫だとは思うんですけど……あの、ルレンさん……?」
「ん?何?」
「……き、記念というかなんというか……何かこう……」
「お土産欲しい?……でも、この辺お店が……」
「写真、一緒に撮ってもらえませんか!?」
「え、僕も写るの?」
「……もし、イヤじゃなければ……」
「……い、いい、けど……」
「あ、ありがとうございます!……じゃっ」
ルレンから了承をもぎとると、気が変わらないうちにと、ハズミがルレンの隣に回りこむ。
「……いきますよー?」
「う、うん……!」
ハズミが片手で掲げる携帯電話を見上げたルレンが、ごく自然にハズミの胸元に寄り添う。
ぱしゃ。
合成されたシャッター音が、夜のしじまに響いた。
「ルレンさん、ちょっとお願いがあるんですけど」
「うん。何?」
「この写真、一週間したら、メールで僕に送ってくれませんか?」
「え?……それはいいけど……なんで?」
「今ここで一度画像を消すからです」
「???」
万一、ルレンと一緒だった事が兄弟(長男除く)にバレれば、詮索されまくる事は目に見えている。
ハズミなりに考えての措置であった。
「……変なハズミ」
ルレンが、ヘルメットを被りながらくすくす笑う。
思えば、一年と少し前。
出会った頃はロクに会話も出来なかったルレンと、今こうして触れ合って話が出来る。
「じゃ、しっかりつかまってね」
「――はい」
腕の中の確かな感触を、ぎゅっと抱き締めた。
++了++
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