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「え、ハズミ、泳げないの?」
テーブルの向こう側のルレンが、眼鏡の奥の大きな瞳を丸くする。
「あはははは〜……お恥ずかしい」
ハズミがマクドール家の居間で、ルレンに夏休みの課題を見てもらっていた時の話である。
「水、怖い?前に溺れたりした?」
「あ、そういうんじゃないです。……ええと、進まないというか沈まないというか……」
「顔は水につけられる?」
「目も開けられますよ」
「……それなら、ちょっと練習したら泳げるようになるんじゃないかなぁ」
「そうですかねぇ。いやぁ、なんか誰かに教わるのも今更という気が……市民プール、混みますし」
たはは、と笑うハズミに、ルレンは少し思案してからこう言った。
「……空いてるプールあったら、行く?」
「………!!」
驚いたのは、ダイニングに居たユーリグである。
プールなんて場所で、大事な大事な兄と隣の家のおサルを二人きりにするなど言語道断である。
……隣家の中ではハズミは仲も良い方だし、いい子だとは思っているが、ルレン事に関しては別である。
感情の起伏が激しいハズミが何かの拍子に手を出した時、素直で優しいルレンがそれを受け入れてしまう危険は十分にある。
「僕、明後日からちょっと忙しくなっちゃうんだけどー……」
「あ、明日は僕空いてます」
「急だけど大丈夫?それなら、明日行こうか」
(……明日……!)
聞こえてくる相談の声に、ユーリグは壁に貼られたカレンダーを見る。
――大丈夫、スケジュールは空いている!!
「兄さん、ハズミ君♪楽しそうですね、何の相談ですか?」
メロンソーダを二つ載せた盆を抱え、ユーリグはしれっと二人に近づく。
「あっ、あのねー、明日プール行こうと思って。ほら、父さんとこの保養所、ここからなら一時間くらいでしょう?」
……因みに、この時点でハズミはユーリグの意図を察し、受け取ったメロンソーダを黙ってすすっている。
「ああ、あそこならそんなに混みませんよね。……そういえばしばらく行ってませんね。いいなぁ」
「ハズミに泳ぎ方教えるんだけど……ユーリグも行く?」
こういう所にとことんニブいルレンから、あっさり誘い文句が引き出される。
「わぁ、僕も行っていいんですか?」
「勿論。じゃあ、支度しておいてね」
ハズミの目には、わぁいありがとうございます♪と笑うユーリグの背後に、「二人きりで出掛けられると思ったら大間違いだぞ?」の描き文字がはっきり映った。
「つわけで明日、プールいってくる」
その日の夜、デュナン家。
「やっとその気になりましたか。しっかり教えてもらってきて下さいね」
ハズミのセリフに、レンは麦茶を片手にうんうんと頷く。
「巧いことやりましたねこのムッツリスケベ☆カナヅチにカコつけてプールデートに持ち込むなんて」
冷奴をもぐもぐ咀嚼しながら、カナタがジト目でハズミを見つめる。
「デートじゃないし巧いことやってもないし。ユーリグさんも居るし。」
「えぇぇっ!?ユーリグさんとプール行くのッ!?」
言い返すハズミに、今度はリクが大袈裟に反応した。
「プールでしょ!?」
「プールだよ?」
「プールって服脱ぐんでしょ!?」
「……いや、まぁ脱ぐけど……」
「それって、ユーリグさんが脱ぐって事でしょおぉ!?」
「その言い方語弊あるからヤメテ。」
「今の発言だけで刺されるには十分足りますね」
「カナタ、チクるなら僕がいないときにして下さいね」
リクのユーリグ事に関しては、どこまでもクールな兄弟達である。
「でもプールかぁー。いいな〜。今年は僕、体育で入ったっきりだよ」
前の問題発言をさらっと流し、ナナトが普通レベルの会話に引き戻す。
「じゃあナナトも行く?兄弟なら連れてきていいって言われてるけど」
「そうなの!?う〜、行きたいけど僕、部活あるから〜……」
「ハイハイハイ!僕行きたい!!」
「リクも部活でしょっ!サボったらダメなんだからね!!」
勢いよく挙手したリクを、横からナナトが押さえにかかる。
「レンはー?」
「せっかくルレンさんがハズミを引き受けて下さるんです、ご厚意に甘えて留守番してますよ」
「後はー……カナタとユイは聞くまでもないか」
「ふはははは!プールなんて誰が行くかです!カイルさんが一緒なら別ですけど!」
「……あんまりルレンに手間かけさせんじゃねェぞ」
「………ハズミ」
「ん?なに、アオイちゃん?」
「……俺も……行ってはダメだろうか」
『…………え?』
「おはようございます!今日はよろしくお願いします!」
「おはよう。こちらこそよろしくね」
翌日は、ハズミとルレンの和やかな挨拶から始まった。
「すいません、押し掛けてしまって」
「大勢の方が楽しいもの、アオイも今日は一日、のんびり遊んでね」
頭を下げるアオイにルレンはひらひらと手を振る。
「珍しいな、アオイが来るとは。……他の兄弟はどうした?」
「リクとナナトは来たがってたんだが……部活があって」
「リクなんか、昨日一晩中ずるいずるいって言ってたんですよ、もううるさいったら」
「じゃあ、そちらも今日は三人ですね」
「……解せません……!」
本日のメンバーは、主催のルレン、お目付け役ユーリグ、面白そうだと参加のクラハ。
今日の目的であるハズミと、保護者アオイ。
そして、カナタである。
「なんで!僕が!今!!ここにいるんですかー!!」
ハズミに首根っこを掴まれたまま、カナタはじたじたと体をよじる。
「カナタ君も泳げないそうじゃないですか。機会ですし、一緒に練習しましょうよ」
そんなカナタの肩に、にこにこと笑みを浮かべたユーリグが手をかける。
「だ、そうです。諦めろ、カナタ」
「……こっちに僕を連れてって、カイルさんから引き離そうってハラですね……?」
「……わかってるなら一日大人しくしていて下さい。ルレン兄さんのコーチってだけで相当な譲歩なんですから」
「ユーリグさん、だんだんなりふり構わなくなってきてますよね」
「誰のせいだと思ってるんです。いいからさっさと車乗って下さい」
「今回はハズミさんのせいですよ。お邪魔します」
「……二人とも、僕をはさんでそういう怖い会話するのやめて下さい……」
「……や〜……無理矢理お前連れてきて正解だったわ〜……」
「アオイさんが行くと言い出した時点で想定しておくべき事態ですよ」
ルレンの運転する車で一時間程走り、一行は無事保養所に到着する。
施設自体はレストランとプールがある程度、プールの規模も学校にあるようなサイズのものだったが、高校生のカナヅチ二人に練習させるには十分な余裕がある。
――と、設備的にはまったく問題はなかったが、人員的には少し問題があった。
モデルのバイトをこなすデュナン家随一の美形・アオイ。
そのアオイ以上に華やかな美貌を持つクラハ。
黙っていればまるきり美少女な容貌のユーリグ。
そして、ルレンである。
他のメンバーが標準的な水着なのに対し、ルレンは「部活で着てた」というワンピースタイプ(ハイネックノースリーブ膝上丈)の水着である。
水着だけでは男女の判断がつかない上、プールということで眼鏡をかけていない。
その上、何が楽しいのか今日はやたらにこにこして、一行の先頭を歩いている。(いつも三人以上になると人の後ろにいる)
……この目立つ一行では、ぼちぼち居る他の客達の注目の的である。
「……露出が少なくてガッカリー?ですか?」
「なんのだよ誰のだよ大概にしとけよ」
「不埒な事考えてると蹴り落としますよそこのカナヅチ二人」
ユーリグも兄二人に向けられる周囲の視線が気になっているのだろう、プールサイドに入ってからは一段とぴりぴりしている。
「それでは〜準備体操から始めまぁす」
そんな三人を尻目に、ルレンは呑気な声を上げるのであった。
「……カナタ、昔怪我して骨にボルトとか入れた?」
「僕が……がぶ……そんなヘマすると……がぶがぶ……思います?がぶ」
「だよねぇ。……とりあえず、一回上がろうか。すごい水飲んでるから」
沈没寸前のカナタを抱きかかえ、ルレンがプールの縁まで戻ってくる。
「……連れてきた手前アレなんですけど、カナタはムリだと思います……」
「なんというか……金属みたいな沈み方でしたよ……」
ユーリグが睨むことも忘れ、唖然とする程の沈みっぷりだったようだ。
「どういう訳か、カナタは昔から水に浮かないんです」
アオイが心底困った顔で、プールサイドにしがみつきゼーハーと息をつくカナタの背中をさする。
「浮くのに支障が出るほど筋肉質でもないと思うんだが……」
「そうだよねぇ……」
「クラハさんルレンさん……そんな小動物見るような優しい眼差しで僕のほっぺたふにふにするのやめて下さい……」
「じゃあカナタ、少し休憩しててね。その間にハズミ、やろう」
「あ、は、はい!」
「ハズミは……カナタの逆なんだね」
「あははは……」
なかなか潜れないハズミに、ルレンはちょこんと首をかしげた。
「……ちょっと、息止めててね」
「へ?」
妙な言葉を言い置いて、ルレンの姿が水中に消える。
――次の瞬間。
「ごばぶッ!?」
何かに足を取られ、ハズミは水中に突っ伏す。
ぼやける視界に、白と水色が広がる。
やがて、引いていく白の中から人影が浮かび上がり……
「――ほら大丈夫、ちゃんと潜れるよ」
ルレンの腕に抱えられ、ハズミは水面に頭を出した。
「……る!ルレンさん!いきなり足払いしないで下さいよびっくりした!!」
「ごめんね、カナタみたいに本当に沈まない体質なのかもと思って」
「……もしかして、今日ってスパルタだったりします?」
「ユイには「存分にしごいていい」って言われてる」
「……あんにゃろ……!」
思わず舌打ちするハズミに、ルレンはくすくす笑い声を上げる。
「じゃあハズミ、今のカンジ覚えてる?思い出しながら、潜ってみて」
「……はいっ」
「ハズミ君、今までどれだけサボってきたんですか」
「あ……あはは……」
二時間後。
一度潜れるようになると、ハズミの成長は早かった。既に潜水での25メートルを達成し、不完全ながらクロールらしきものも覚えた。学校の授業程度なら、十分なレベルである。
「普通は二時間じゃ泳げるようにはなりませんよ」
「先生がよかったんです!ルレンさんの教え方が上手だったんです!」
「いや、ハズミも頑張った」
ユーリグが説教モードに入りかかる横で、アオイがハズミの頭をわしわし撫でる。
「後は回数泳いで慣れていけば大丈夫だと思うよー」
「はい!ルレンさん、本当にありがとうございました!」
「ハズミはコツが掴めなかっただけみたいだったから。僕はそれをちょっと手伝っただけだよ」
満面の笑みを浮かべるハズミに、ルレンがにこりと微笑み返す。
「……さて、それじゃあ」
『……全員でカナタ(君)行きますか……!』
表情を引き締めた四人の視線の先では、
クラハが手を放す→カナタが沈む→クラハがつかまえて引き上げるがエンドレスリピートされていた。
「…………本当にさっぱり浮かないな……?」
「く!クラハさ……ごぼごぼ……こ、これ『水責め』っていいませんか!?ごぼごぼ!!」
「……人体の神秘だな……」
結局。
カナタはカケラも浮く様子が見られず、ルレンは涙ながらにうちひしがれることとなった。(そしてユーリグとクラハは必死にルレンを慰め、ハズミとアオイは「なんかもうすみません」と懸命に頭を下げる事となった)
「……寝ちゃいました」
帰りの車の中。
中央の三人席の真ん中で、ユーリグがぽそっと呟いた。
右ではルレンがユーリグの肩にもたれて、左ではハズミがウィンドウにおでこをくっつけて、すやすやと寝息を立てていた。
因みにカナタは、最後尾の席で、車に乗った瞬間に気絶している。
「その三人は、ほぼ一日水に浸ってたからな。寝かせといてやれ」
「……ありがとうございます」
ハンドルを握るクラハに、助手席のアオイが小さく頭を下げる。
自分の肩口で、なにやらむにゃむにゃ言うルレンの髪を、ユーリグはそっと梳るのだった。
余談。
「美味しかったー!ごちそうさまでした!」
「すいません、俺までごちそうになってしまって……」
「うう、水っ腹であまりご飯が食べられませんでした……」
プールに併設されたレストラン内。
ハズミが満足げに、アオイが申し訳なさそうに、カナタが悔しそうに、それぞれ席を立つ。
「じゃあクラハ、これ、僕達の分」
「ああ」
ルレンが財布から紙幣を引っ張り出し、クラハに手渡した。
「クラハさんクラハさん」
「なんだ?」
「お会計、見ててもいいですかっ」
「?構わないが?」
伝票を持ってレジに向かうクラハに、ハズミが寄ってくる。
「支払いをするだけだが?」
ぴっぴっ。
「はい」
ぴっぴっ。
「特に面白くはないと思うが……」
ぴっぴっ。
「いえいえ」
ぴっぴっぴっぴっぴっぴっぴっ………
「レストランでメニュー全制覇って初めて見るんで!レシート出てくる所見たいんです!」
ハズミの期待通り、長い打ち込み音の後に長いレシートが、べろべろとレジから吐き出される。
「ひゃーっ!うわぁーっ!長――!!」
「そうか?その位よく見るぞ?」
「クラハ兄さん……レジの人固まっちゃってますから、今日はその辺で勘弁してあげて下さい……」
その2。
「ハズミのばかぁぁぁ〜ずるい〜、ずるいいつもハズミばっかりぃぃぃ〜」
「うざい。」
「はっ!ルレンさんが高嶺の花だからって、狙いをユーリグさんに切り替えたんじゃ!?」
「それどっちにも失礼だ向こう向いて謝れ」
いい加減目の据わったハズミは、いつまでもダダをこねるリクを蹴り倒し、窓側に向かってその頭を踏みつける。
「水着〜水着〜、ユーリグさんの生肌ぁぁ〜!」
「そういう事言うから変態扱いされんだ、お前」
「……ハズミはいいよねぇ、水着どころか温泉も一緒に入ってるし……」
「そこに関しては僕も一言言いたいですね☆……カイルさんと一緒に温泉だなんてガッデム四男です!」
「いつの話だ、いつの!もう明日まで寝てろよカナタ!」
先ほどまで布団の上でひっくり返っていたカナタが、いつの間にか復活して、じとっとした視線をハズミに送っている。
「さて、そんなリクさんに朗・報☆プールサイドで激写ユーリグさん水着ショット三枚千円vv」
「買った!」
「盗撮は犯罪だバカ!!」
「盗撮じゃありませんよう、一緒にプール遊びに行った記念撮影ですよ〜」
「記念撮影の被写体は撮られてる事を承知してるモンなんだよ!つかドコに隠してたカメラ!!」
「僕が何のために防水・高画質カメラ搭載ケータイなんて使ってると思ってるんですか!!」
「カナタ!赤外線赤外線!!」
「あっ、ちょっとリクさん!お金が先です!」
「やめろこの犯罪者共〜!!」
「ハズミは生見てるんだから邪魔しないで!」
この一分三十秒後、部屋に乱入してきた次男に三人はまとめて蹴り倒されるのだった。
その3。
「『今日は、弟共が迷惑かけて悪かった』……?」
ユイから届いたメールに、ルレンは首を傾げる。
「…………」
ルレンにメールを送ってから十数分後。
ユイの携帯電話が電子音を上げる。
「……なんだ、ご機嫌なんじゃねぇか」
液晶画面には、『すごく楽しかったよ!今度はユイも行こうね』の文字と、可愛らしい絵文字が踊っていた。
了
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