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花の香りが仄かに漂う。
視線を上げれば、辺りは一面、桃の花が咲き乱れていた。
足元には青草が生い茂り、踏みしめてもふわふわとした感触が返ってくるだけで、少々落ち着かない。
「ハズミ」
「はいっ、……あ、え?」
突然、背後で名前を呼ばれ、ハズミは反射的に振り返る。
……先程まで、そこには誰もいなかった筈だ。
だが、今目の前には、柔らかく微笑み、こちらを見上げるルレンがいる。
「……えへへ〜」
なにやら嬉しそうな、照れ臭そうな愛らしい笑顔に、ハズミの中の些細な疑問はあっさり吹き飛んだ。
「こんにちはルレンさん!なにかいいこと、あったんですか?」
「えへ、えへへ。これからあるの」
とにかく嬉しそうに笑うルレンは、それこそ桃の花のようだった。
……比喩表現ではなく、本当に花のようだったのである。
髪は薄桃色のリボンで柔らかく結い上げられ、頭頂には白銀の小さな冠が据えられている。
パステルカラーの着物を何重にも重ね、長い帯や裾は引きずるようになっている。
少しルレンが動く度に、一番上に重ねられたピンクの薄衣がふわふわ、きらきらと舞い上がる。
(…………お花だ…………)
「ハズミも、支度しよう?」
華やかな装いにみとれていたハズミを、ルレンの小さな手が引き戻す。
「は……え、何の支度ですか?」
「あれ、聞いてない?」
ハズミが尋ねると、ルレンはハズミの手を握ったまま首を傾げる。
「す、すみません、僕何も聞いてないんですけど……」
「そう……じゃあ、改めて。一緒に来てくれる?……ハズミに、一番近くに居て貰えると……すごく、心強いんだ……」
ばくん。
頬をも桃色に染めたルレンの言葉に、ハズミの心臓が跳ね上がる。
「……ぼ……僕で、ルレンさんの……お役に立てるなら、何処へでも行きますよ」
動悸を押し殺して、努めて冷静に、かつにこやかに返事をすると、ルレンは先程よりも更に嬉しそうに、満面の笑みを浮かべた。
「ほんと!?じゃあ、こっち」
「ハズミ!遅いですよ!」
「あ、レン……何そのコスプレ」
ふわふわのルレンに手を引かれ、たどり着いたのは、階段状のセット(?)だった。
各段に鮮やかな緋色の布が敷かれ、金屏風や雪洞、桃や橘の枝が飾られている。
そして更に、その前でハズミを出迎えたレンは……なにやら時代がかった恰好をしていた。
「なに言ってるんです、大事なお祝いの席なんですから、それなりの恰好しないと」
「あれ〜、ハズミまだ着替えてないの?」
「だめじゃん、ハズミは僕らのと違うんだから」
続いてどこからともなく、レンと同じ衣装のナナトとリクが出てくる。
「じゃあルレンさん、先に上がってて下さい。ハズミも、すぐ着替えさせますから」
「はーい」
レンが手を振ると、ルレンは元気に返事をし、長い着物をたくしあげ、よじよじと段々を登っていく。
天辺にたどり着くと、ルレンはばさばさと裾を直し、しつらえられた席にぽすんと座る。
「…………あ?」
ここでハズミは、これが等身大の雛飾りであることに気が付いた。
「え、何、ここでおひなさまやるの!?」
「……あー、まーそうですけど……」
「ルレンさんがおひなさまで、じゃあレン達は……ええと、五人囃子?」
「そうですよ?」
「……五つ子で五人囃子じゃないの?」
「最初はそのはずだったんですけどねー」
先程、リクは「ハズミは僕らのと違う」と言った。
――ハズミは五人囃子ではない。
――先程、ルレンは「ハズミに側にいてもらえると心強い」と言った。
………まさかのおだいりさまポジション……?
「えっ、いやっ、あの、ホントに僕そんな上ポジションでいいの……?」
「仕方ないじゃないですか、ユーリグさんが断固拒否なさったんですから」
「……ユーリグさんが、何を拒否したって?」
ずぱぁん!!
向かい合って話をしていたレンとハズミの鼻先をかすめ、一本の矢が段組に突き刺さる。
「一体何時まで待たせる気ですか!」
「ああっ、右大臣!」
「うだ?」
矢の飛んできた方向をみやれば、其処にはやはり時代がかった衣装のユーリグが、二本目の矢を弓につがえた所だった。
「えっ、ユーリグさんがお内裏様なんですか!?」
「いっそそうだったらよかったんですけどね……身長で制限かかったんですよ」
「……お内裏様って身長制限あるんですか……?」
知識のないハズミには、随身がわからない。
五人囃子以外の男性=お内裏様、だと思ったのだが、どうにも違うらしい。
青筋立てまくるユーリグに、ハズミは首を傾げる。
「ユーリグさんは右大臣、向こうにいるユウさんが左大臣です。……まあ、今風に言えばSPですか」
レンの指さす方を見れば、ユーリグとよく似た衣装のユウが、なにやら牛車のうしを夢中になってめでている。
「ほら、兄さんがお待ちです!さっさと着替えて下さい!!」
「ゆ、ユーリグさん……ほんとに、いいんですか、僕で……」
「……兄さんの希望ですから、仕方ないでしょう。それに……」
「?」
「僕は死んでもゴメンですし。」
………あれっ?
違和感があった。
先程ユーリグは「いっそ自分がお内裏様だったら」と言った。
が、今は「死んでもゴメンだ」と。
……僕、お内裏様じゃない……?
「もー!ハズミさん遅いです!桜が咲きますよ!!」
「……桜が咲いたら、このまま花見に突入したらいいだろう」
わさわさと朱色の女袴を翻し、こちらにやってくる二人組。
「……クラハさん……と、カナタ?」
「そーです、僕です!……それが何か?」
「お前、その恰好……」
「三人官女その2ですよー!その1はクラハさんです」
「三人官女その1だ」
カナタの解説に、隣のクラハがえへんぷいと胸を張る。
「待って待って待って、何その奇妙な取り合わせ!!」
「奇妙とは失礼な!」
「本当はクラハさんが右大臣、五つ子で五人囃子の、マクドール家の三つ子さんで三人官女の予定だったんですよ」
ほっぺたをぷうっ、と膨らませたカナタに代わり、レンが状況を説明する。
「……なんですが、ユーリグさんが官女NGなので、全体で女性衣装OKな人をあげていったらこうなったわけです」
「三人で並んでも楽しいけど、こうやって両家ごちゃごちゃでも楽しいよね!」
「カナタ、あんまり暴れないで。髢とれちゃうよ」
気が付けば、レンの背後には五人囃子衣装のケイとカイルもスタンバイしている。
「……因みに、僕はケイさんとお揃い&隣に居られて大満足です☆」
「斜め上から見下ろすカイルさんの項も新鮮でそそります!」
腹黒ブラザーズ(ハズミ命名)は、二人揃ってイイ笑顔である。
「お〜い、可愛い従兄弟達とその他〜、まだかな〜?ルレンがいい加減舟こぎだしてるんだが」
頭上から降る声に見上げれば、確かに座ったままのルレンの頭が、前後左右にふらふらと揺れている。
更に視線を左に移せば、其処にはあの胡散臭い男が、いつの間にか座っていた。
「っ!ろ、ろ……」
「ロウ。すまない、もう少しだ」
「ハズミさん、さっさと着替えて下さいよ〜、もう大分押してるんですから〜!」
……ロウウが着ているのは、お囃しとも随身とも違う、きらびやかな衣装だった。
「ちょっ、ロウさんがお内裏様なの!?」
「そうですよ!だから腹立つんじゃないですか!!」
ハズミの叫びに、ユーリグが怒鳴り返す。
「……もしかして、僕……三人官女その3……なわけ……?」
「その通りです。しかも眉なしお歯黒ポジションです。よかったですね☆」
「……本来なら、最年長は私なのだが……何故かアオイが泣きながら反対してな」
「年功序列で、ハズミさんのくりあがり当選ですよ!ヨカッタデスネ〜?」
右からは袴を持ったクラハが、左からは何故かガムテープとポスターカラー(黒)を持ったカナタが、じりじりと迫ってくる。
「い、いやっ、あのっ……服は着ますから、眉とお歯黒は勘弁してもらえませんか……?つかカナタ!それ文房具!せめて化粧道具もってこい!!」
「いや、可愛い兄の晴れの席だ、いろいろちゃんとしないと」
「いやいやいやあのあのあの!……る、ルレンさぁぁん!!」
追い詰められたハズミは、すがるように壇上のルレンを仰ぐ。
「――ハズミ、おはぐろ塗れたら見せてね♪」
――今日一番の笑顔で微笑まれた。
「せめてイカスミにしろおぉぉぉぉっ!!」
がばっ!!
『………イカスミ?』
ハズミを除く五つ子が、揃って首を傾げる。
「は……あれ?」
「おはようございますハズミ、よく寝てましたね?」
「……あ、そーか、昼寝してたんだっけ……」
見慣れた居間、見慣れた顔。
……昼食の後、ハズミは居間で眠り込んでしまったらしい。
「てかハズミ、イカスミって何?どんな夢みてたの?」
「僕も気になる!パスタの夢?」
寝癖のついた頭をがりがり掻くハズミに、リクとナナトが寄ってくる。
「え?……あ〜……」
「……ひな祭り……の、夢ではありませんでしたか?」
「!?」
横合いからかけられた言葉に、ハズミの肩がびくりと跳ねる。
「……カナタ、お前なんで…っ」
「…………」
によによと笑うカナタからノートパソコンを取り上げ、レンがディスプレイをつきつける。
「『……桃の節句の歴史』……?」
「寝ているハズミの頭の上で、ずっとコレ音読してたんですよ。……賭けはカナタの勝ちです」
若干不満げな表情のレンが、盛大にため息をついた。
「ハズミさんがひな祭りの夢を見るかどうか実験してたんです〜!成功したら今日の晩御飯は僕が決められるんですよ〜♪」
「カニだのフグだの言わないで下さいね、飽くまでいつもの晩御飯の範囲で!
……で、せっかくですから、どんな夢だったのか教えてください」
「そうですね!どこがどう夢に反映されたのか知りたいです!」
「僕はイカスミが気になる!」
「僕も僕も〜!」
「……ぜってェ言わねェ……!!」
わきゃわきゃ集る兄弟達に、ハズミは口をへの字に結んだ。
++了++
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